書く場所が増えた時、人はなぜ書くのをやめないのだろう。
SNSがあり、ブログがあり、Noteがある。
どれかひとつだけでも、言葉は残せる。
それでも私は、Noteにも書く。
ブログでは、静けさを積み重ねている。
ひとつの記事が別の記事につながり、現象が概念になり、概念がまた次の現象を照らしていく。
少しずつ輪郭を持ち、やがて「静けさの体系」になっていく。
でも、静けさはいつも体系の中から生まれるわけではない。
朝、湯気の向こうで光がほどけたこと。
キャンプ場へ向かう道で、窓の外だけがゆっくり流れていたこと。
椅子に座る前の数秒が、その夜でいちばん静かだったこと。
そういうものは、理由より先に訪れる。
意味になる前の静けさ。
まだ名前のない現象。
それらは、急いで体系へ組み込まなくてもいい。
ただ、そのまま置いておける場所があればいい。
私にとって、それがNoteだ。
書く場所を分けることは、書く人を分けることではない。
ただ、言葉の呼吸が少し変わるだけだ。
ブログでは、遠くまで届く声で話す。
Noteでは、隣を歩く誰かに、小さく話す。
どちらにも流れているのは、同じ静けさである。
ブログは、思想を育てる場所。
Noteは、その思想が息をつく場所。
体系があるから、静けさは迷わない。
余白があるから、静けさは固まらない。
だから私は、ブログにも書き、Noteにも書く。
静けさは、ひとつの場所では完成しない。
風に運ばれ、場所を変え、誰かの日常にそっと触れながら、
少しずつ、その輪郭を広げていく。