静寂と自然を愛する人へ

心ほどけるエッセイと、信頼できるアウトドアギアを。

ククサという「かたち」に宿るもの

森のキャンプファイヤーとククサ
焚き火のぬくもりを背に、桑のククサから立ちのぼる湯気が、静かな夜に溶けていく。

ククサは、ただの木のカップではない。
北欧ラップランドの厳しい自然の中で生まれた、小さな「祈りの器」だ。

フィンランドやスウェーデン、ノルウェー、ロシアにまたがる北部の地に暮らすサーミ人たちは、白樺のコブ──バハカと呼ばれる瘤をくり抜いて、ひとつの塊からククサを削り出してきた。
継ぎ目のない一体削り出しは、壊れにくく、寒さにも強い。極寒の地で、コーヒーやスープを口に運ぶための、実用的な生活道具だった。

けれど、ククサはいつしか「道具」を超えた。

贈られた人には幸せが訪れる。

そんな言い伝えが生まれ、ククサは“幸運のマグカップ”として、今もなお受け継がれている。
白樺のコブが形成されるまでには、30〜40年という時間がかかるという。森がゆっくりと育てた素材を、人の手が削り、日々の暮らしの中で使い込まれていく。
その時間の重なりが、ククサという「かたち」に、静かな重みを与えている。


本場の白樺ではなく、「桑の木」を選んだ理由

本来のククサは、白樺のコブから作られる。
けれど、僕が手にしているククサは、桑の木から削り出されたものだ。

なぜ桑なのか。

僕が主催しているアウトドアサークル「EO」には、ひとつのシンボルマークがある。
桑の葉に、赤とんぼが飛んでいるマーク。

桑の葉は「友愛」を、
赤とんぼは「前進」を表している。

誰かと一緒に火を囲み、
同じ時間を分け合いながら、
それでもそれぞれの人生は前に進んでいく。

その感覚を、ひとつの印に閉じ込めたのが、あのマークだ。

だから僕は、白樺ではなく、桑の木のククサを選んだ。
EOという場で大事にしている「友愛」と「前進」を、そのまま手の中に持っていたかったからだ。


手の中で確かめる「友愛」と「前進」

桑のククサを手に取ると、まず感じるのは、木の温度だ。
冷たすぎず、熱すぎず、じわりと馴染んでくる曖昧な温度。
それは、焚き火の外側にある空気の温度とよく似ている。

EOの仲間たちと囲む焚き火の夜。
誰かが静かに話し始め、誰かが笑い、誰かが黙って火を見つめている。
その輪の中で、僕の手にはいつも桑のククサがある。

ククサは、主張しない。
金属のマグのように光を跳ね返さず、カン、と音を立てることもない。
ただそこに「いる」だけだ。

けれど、その“ただそこにいる”という在り方が、
EOのシンボルと重なって見える。

桑の葉の「友愛」は、
派手な言葉や大きなジェスチャーではなく、
同じ場所にいてくれること、その時間を分け合うことに宿る。

赤とんぼの「前進」は、
劇的な変化ではなく、
少しずつ、でも確かに前へ進んでいく、その姿勢のことだ。

焚き火のそばで桑のククサを握っていると、
そのふたつを、手のひらで確かめているような気持ちになる。


ククサは「贈り物」であり、「誓い」でもある

ククサには、
「贈られた人は幸せになる」という言い伝えがある。

本場の白樺のククサであれ、
桑の木のククサであれ、
誰かのことを思いながら選び、手渡すという行為そのものが、
すでにひとつの“祈り”なのだと思う。

僕にとって桑のククサは、
誰かから贈られた幸運のマグカップであると同時に、
自分自身への小さな誓いでもある。

友愛を忘れないこと。
それでも前に進むこと。
火を囲む時間を大事にしながら、それぞれの道を歩き続けること。

その全部を、
ひとつの木の器に託している。


森の時間と、自分の時間

ククサの素材になる木は、
一朝一夕では育たない。

白樺のコブにしても、
桑の木にしても、
そこに至るまでには、長い時間が流れている。

雨の日も、風の日も、雪の日も、
木はただそこに立ち続ける。
傷つけば、自らを守るためにコブをつくり、
やがてそれが、誰かの手に渡るククサになる。

僕たちがキャンプで使うその一杯は、
森の時間の、ほんの一部を借りているにすぎない。

EOの活動も、ブログも、
一気に何かが完成するわけじゃない。
少しずつ積み重ねて、
気づいたら「ここまで来ていた」と振り返るような時間の使い方をしている。

桑のククサを手にするとき、
その森の時間と、自分の時間が、
一瞬だけ重なるような感覚がある。


ククサと一緒に、夜を深くしていく

ククサは、キャンプの必需品ではない。
なくてもコーヒーは飲めるし、水も飲める。

でも、ククサがあると、
夜の深さの感じ方が少し変わる。

光を反射しない器。
音を立てない縁。
ゆっくりと伝わる温度。
使い込むほどに色を深めていく木肌。

それは、
「急がなくていい」と
静かに教えてくれる道具でもある。

友愛を忘れず、
それでも前に進みたいと思う人間が、
焚き火のそばで手にしていたい器。

僕にとって、桑のククサは、
EOという場と、自分自身の在り方を
そっと支えてくれる、小さな相棒だ。

夜の外側に沈む静けさを、
壊さないまま一緒に味わってくれる器。

その存在を、これからも少しずつ、
Moon Bears の文章の中に刻んでいきたいと思っている。

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