夜の帳(とばり)が下りる頃、私は儀式を始める。 傍らにあるのは、1964年1月生まれのコールマン。 私よりも長くこの世界を見つめてきた、鋼鉄と真鍮の老兵だ。
指先に伝わる冷ややかなタンクの質感は、ポンプを押し込むたびに熱を帯びていく。 ギュッ、ギュッ、と空気を凝縮させる手応えは、眠っていた老兵に新しい肺活量を与えていくような、不思議な高揚感がある。
「シューッ」
バルブを開いた瞬間、静寂を切り裂いて漏れ出すその音。 それは、60年という歳月の澱(おり)を吹き飛ばす、力強い呼吸の音だ。 マッチの火を近づければ、マントルは一瞬の躊躇のあと、眩いばかりの白光を放つ。 その瞬間、私の周りだけが、昭和のあの喧騒や、かつて誰かが仰ぎ見た異国の星空と繋がったような錯覚に陥る。
手入れをすることは、彼が刻んできた歴史の皺(しわ)をなぞることだ。 ベンチレーターの小さな欠けは、いつかの嵐の夜の勲章だろうか。 タンクの底に刻まれた「1 64」の数字は、高度経済成長の熱気の中で、一人の職人が打ち込んだ魂の刻印だ。
私が真鍮を磨くとき、私は単に汚れを落としているのではない。 前の持ち主が愛し、磨き、そして手放した「時間」を、再び現在(いま)へと呼び戻しているのだ。 布に付着する黒い汚れは、彼が生き抜いてきた証であり、私と彼を繋ぐ唯一の接点でもある。
LEDの光が「便利」を運んでくるのなら、このランタンの光は「郷愁」を運んでくる。 一定のリズムで響き続ける「シューッ」という燃焼音。 それは、止まることを忘れた時計の秒針のようでもあり、 「まだ、やれるぞ」と私に語りかける老友の囁きのようでもある。
今夜もまた、この琥珀色の光に包まれながら、私は彼の一部になる。 あと数十年して、私の手がこのランタンを離れるとき、 次の誰かがこの音を聞き、私が込めた想いを見つけてくれることを願いながら。


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